生きてた

生存&ダイエット報告と、若干の考察やひとりごと

すごく嫌なことがあったけど、友人のおかげで吹っ切れたかもしれん話

ぼくの鏡写しのような友人がいる。

びっくりするほど豆腐メンタルな反面、知識や勉強意欲はすごい友人がいる。

 

最近だとこの人が一番気心知れた友人なのだが…彼との話で最近悩んでいたことにやっと解決策が見えたからその話をして欲しい。

 

ぼくでも引くほど野球オタクな友人から出てきた意外な一言

はっきり言うが…ぼくが「野球の分野で絶対に勝てない」と思ったことがあるのは、彼とデータサイト・アカウントを運営しているような人物だけだ。

 

なんで、「彼とデータの専門家が互角か?」というと…彼はデータサイトの間違っているデータを指摘して修正してもらったことがある。
つまり、データサイト並みのデータ量を頭に蓄積しているため、野球のデータという意味では、彼の右に出る人はそんなにいない。

 

彼が本気で野球アカウントをすることができたら、お股ニキさん・赤味噌さんクラスの有名人になれるかもしれない。
そのぐらいのポテンシャルを秘めている人物だ。

 

今日も、奥浪鏡という元プロ野球選手の悪い意味で有名になった人の出身校を見事に当てた!

広陵や熊本工業みたいな高校野球のド定番の学校や、(奥浪氏の出身校である)創志学園の中でも選手として評価の高い西純矢を言い当てるなら、まだわかる。

 

だが、奥浪鏡という「やらかしと犯罪」で有名になったから、出身校なんてほとんどの人が調べてない人。なおかつ5年以上前に引退した選手の出身校を知ってた時は、私でもびっくりした。

 

しかも昨日は「ロッテが勝つ」と言って、深夜番組を見るために寝ちゃって。
今日は「見る前からソフトバンクが勝つのはわかってる」と言って、見事的中。

 

あまりにも冴えすぎて、野球オタクの私でも少し引いた。

 

そんな彼だが…表面的な人当たりはすごくいい反面、本質的にはすごく気分屋らしい。


だから、
「野球名鑑は発売した時に書店で買って、全部覚えないと熱が冷めて没頭できない」

と言われ『彼のデータ魔は熱が入った時の爆発力から生まれてるんだ』『毎日データ魔というわけでもないんだ』と驚いた。

 

と同時に、「アレ?これ俺もじゃね??」と、彼に言われて我に返った。

 

本気を出せば、体重115キロで登山をやり遂げ、2ヶ月半で15キロ痩せられたぼくだが…そもそも、お尻に火がつかないと本当にやれない

ウソついてないことを証明するために

 

使用済みさん、登山家になる!?

山に登りまくってた時のぼく。

 

最初は高尾山でもゼエゼエ言いながら登山してたほどの登山ブランクがありました。

8回の登山を通じて、最終的にはチームプレイであったとはいえ…20キロぐらいの登山をやり遂げました。

 

 

ダイエットについても2ヶ月半で15キロ痩せました。

これは「健康に痩せられる最大値」を2ヶ月半ほぼほぼキープした数値ですから…わかる人にはわかるすごさがある数値です。

 

ダイエット初心者だったから、基礎は人から教わりました。
しかし、色んなトラブルがあっても、強い意志でダイエットを続けて、痩せ続けているのはぼく自身の成果だし、人に教わった基礎すら超えたオリジナルなダイエットに昇華させてこの結果を出してます。

 

自慢に聞こえるかもしれないけど、自分でもこんなに痩せられると思わなかったから、ちょっとぐらい自慢させて欲しい。

 

…だから、自分の中では「団体競技個人競技◎」みたいな人間だと思ってたんです。

あるいは
「地頭はいいんだけど、なにかきっかけになる基礎知識がないと全然動けない」
みたいに思ってました。

 

でも、友人の話を聞いてて、しっくり来ました。

「自分がバカ力ではできちゃうことも、普段の力ではできないのは、気分屋だからなんだ」

と、やっと気づきました。

 

「どうしてキミはそうなんだ」と言われても、私だってわからなかった

ぼくは人から…それも大昔から

「どうしてキミはそうなんだ」
とか、
「なんで、ぼくの私の言うことを聞かないんだ」
とヤキモキされることが多かったけど…それには2つ思ってたことがあります。

 

1つは

「え?やってるじゃん」

です。

 

実際、ぼくは「断れない性格」だから、少なくともとりあえずはやってみる方です。
自分が詳しいと思ってること、信念や考え方に反することは断りますが…そういうすごく強い理由がないと基本的に「断れない」性格です。

…ほぼ人格障害に近いモノといってもいいかもしれない。

 

そういう自分にも主体性がなかったり、
前のめりになりきれてない時は…だいたい結果が出ないです

 

やる気がなくて「とりあえずこのぐらいしておけば文句でないでしょ」ぐらいの時もあります。
でも、やる気があるつもりな時でも「自分のモノにできてない時は本当に鳴かず飛ばず」な時がある。

だから、自分の能力がどこにあるのか、本当にわかりませんでした。

 

これ実際に、学校でも仕事でも経験があって…最初はものすごく覚えが悪くて人に遅れを取っていた分野があったんです。

 

ところが、終わりの方には

「今回のテストの範囲は前と同じです」
と言われて、最初は苦手だったジャンルで高得点を取りました。

「この商材、もう時期が終わるけど、キミ得意だろ?やってみてよ」
と、上司から仕事を振られるほど、板について、その商材を売りさばくのが得意になっていました。

 

つまり、人に言われてやってることについては…私の場合、飲み込みが遅いのです。
「板につくまでやる」という方法もできるぐらいには根性はあるのですが…自分の中に強い主体性が出てない時は…最初の方に出遅れてしまってるのです

 

 

そして、

「どうしてぼくの私の言うことを聞かないんだ」

と言われた時の2つ目に多いリアクションが「期待に添えてない…なんてぼくはダメなんだ」でした。

 

ぼくは自分の能力には自信がある反面、コミュニケーションについてはずっと苦手だと思ってました。
接客関係のお仕事を合計1年半はやれてたし、久々にアルバイトをした時にもコミュニケーションで乗り切ったシーンがあるから、ガチガチのコミュ障でもないと思います。

 

しかし、就活に失敗したり、母親とうまく行かなかったり、発達障害と診断された経験から「ぼくのコミュニケーションは根本的にどこかがおかしいのかもしれない」と本気で悩んでて、人から怒られると『ぼくが悪いのかもしれない』『相手の意図を汲み取れてなかったのかもしれない』とまず考える癖がついてしまいました。

 

…特に、相手の方が実績がある場合『100%ぼくが悪いんだ』ぐらいの勢いで、思考が狭まって、もっと能力が出なくなったり、ツラくなって続けてるけど結果が出にくい状態に陥ってしまいがちでした。

 

ところが、最近になって『これおかしいよ』『いくらなんでもこの分野は俺間違ってないでしょ?』と思うことを検証した結果、

あれ?相手の美学に従ってないことが怒られてる理由じゃない?

と、気づくことができました。

 

有名な性格診断テストによれば、論理や合理性を大事にするタイプと、共感や協調性を大事にするタイプがいるそうです。

 

論理こそが正義だと言うつもりはありません。
ぼくだって、空気を読んで欲しい時はあるから、共感でフォローしてくれる人はとても大事です。

 

でも、共感で動く人が「美学に反するからやめろ」みたいなのを論理と混同して言ってるケースがあることに気づくと…

「どうして僕の私の言うことを聞かないんだ」
と言われると…『え?それは美学の話ですか?合理性の話ですか?』と聞かざるをえないわけです。(いや、自覚のない人に聞いてもしょうがないから、受け流すのが実際の正解なんだけどね)

 

箸の上げ下げまで人に従ってる気分になると…もうやる気なんか出ません。
それどころか、やりたくないから手抜きを考えるし、手抜きを考えてなくても「やりたくないから体が重くてできない」「他のことが全くできない」という状態に陥ります。

 

実際問題、ぼくが一番ダメな時ってそういう感じのときです。

「なんか、自分がダメだから全くできる気がしない」
「正解を自分で導き出しては行けない気がして、考えられない」
という自信喪失抑うつモードになっちゃうと、ぼくの能力は一番でなくなります。

 

「なれてないことだから自信がない」
という、新米ぴよぴよ状態ならモチベーション次第なのですが…もう自己否定とか思考停止までキちゃってる時はマジでダメです。気持ちが負けてるからね。

 

 

結論、どうしてぼくの能力はこんなに変わっちゃうのか?

長くなったけど、結論はこうです。

 

自分の主体性があって、目標に向かって燃えまくってること
→120%の力を発揮して、ド根性が出た結果、自分でもびっくりする結果を出す。

本当にやりたいことだと、できないはずのことでさえ
「こうすればできるんじゃない?」
「こう教わったけど、たぶんこっちが正しい」
と、仮説・検証・実行の段取りまで細かに考えてやり遂げる。(しかも、アドリブでやったことでさえ大当たりするある種の無敵状態)

 

主体性はあるけど、ゴールが見えない/自信がない/人から言われてしてること
→40〜60%ぐらいの力しか出てない。
「板につくまでやり抜く」という方法を取るため、最終的にはできるようになる。
でも、前のめりになってる時ほどクリエイティブなアイデアが出て、細かい検証までできるようになるまで時間がかかる。(時間がかかった結果、折れてしまうこともある)

主体性がないこと/主体性を失うほど自信がない/他人の共感・美学が押し付けられて自己喪失状態に陥ってる
→20%以下の力しか出ない。

正直言って、目の前のことがいっぱいいっぱいで精神的にしんどくなって、最終的に過呼吸や動悸が起きるところまでいきます。

 

つまり…共感・美学を押し付けてくる人間を見かけたらぼくは全力で逃げるかぐらいに、腹を決めて戦うかの二択しかないのです。

 

もちろん、腹を決めたところで、ぼくが勝てないジャンルもあるから、一番は

「常に目標を逆算し、自分のやりたいことだけを丁寧に段取りを立てて、できるまでやり抜く」

というのが正解だと思います。

 

ぼくがすごいと思ってる(性格が同系統な)友人でさえ、

「気分が乗らないと全然できない」
「そのためのモチベーションをコントロールしてる」

と言ってるわけですから…ぼくもたぶんそうなんだと思います。

 

これって「発達障害によるIQや興味のムラ」ももちろん絡んでいるのです。
そこに加えて、「主体性を自分で持ってるかどうか」「他人に主体性をもとめられてる環境かどうか」はけっこう重要になってきてるわけですね。

 

だから…私、ビッグモーターでは100回生まれ変わっても働けませんよ。
そして、集団の中だったら、「主体的にやり遂げたいゴール」をそこで見つけられないと能力の半分しか出ない。

 

この性質をよく理解しておかないと…マジで危険だ。


発達障害の存在で
「めちゃくちゃできる時と、全くできない時があって、自分がわからない」
という状態を理解することができた時ホッとした。

 

しかし、その先に

「自分が心の底からやりたくて、今できなくてもクリエイティブなアイデアが振ってきたり、教科書すらアレンジしてしまうほどのなにかが降ってくること」

があると…もっと強くなれる領域がある。

 

板に付けるのもとても大事だし、時として必要なことだ。
自信がなくても、見様見真似でもやらないといけない時はある。

でも、そこをゴールにしないで「それをクリエイティブなアイデアが降り注いでさらにアップグレードする領域」を目指して、やると決めたことには前のめりになっていかないと。

 

じゃないと、ぼく自身が楽しめない。
40〜60%しか能力が出せてないことは、まだ楽しみきれてない。
最終的にできるようになって、誰よりも楽しんでたりするけど…そこを超えないと自分が出し切れない。

 

そういうことについては早く「できる」という確信とか、「突き動かされるほど大きな目標」をみつけて無敵にならなきゃ